誰も知らないディズニーで夢を叶えた人の心温まる物語
夢が叶う場所、東京ディズニーリゾート。
そこは訪れる人が魔法にかかったかのようにその世界観に没入し、
老若男女、国籍人種問わず物語の中に足を踏み入れることで
誰もが非日常を味わい笑顔になれる場所。
僕にとっても幼稚園の頃からサッカーを本格的に始めた小学4年生になるまで
毎年家族で行った思い出深い今でも大好きなテーマパークです。
そんな思い出深い場所で僕は3年半ディズニーキャストを務めました。
思いおこせば様々な体験がありましたが今回はその中でも特に印象に残ったある出来事を綴っていきたいと思います。
ディズニーキャスト
“ディズニーキャスト”
と言われたら何を思い浮かべますか?
笑顔、おもてなし、手を振る、行ってらっしゃい など
明るく元気なイメージを思い浮かべる方が多いと思います。
“おもてなしのプロ”
と言われるその特殊な職業は来園されるお客様を物語に訪れた“ゲスト”とし、
『全てのゲストがVIP』
という理念の元、SCISE(Safety Courtesy Inclusion Show Efficincy)を厳守しゲストに想像を超えた体験を提供するお仕事です。
そんなこと自分にできるだろうかという不安はありましたが、
キャストになったからには特別な体験をゲストに与えられるような理想のディズニーキャストに早く近づこうと必死に働いていた駆け出しの頃、一生忘れらない出来事が起きました。
それはディズニーキャストを始めて半年が過ぎある程度仕事の流れを掴んできた頃の話です。
その日は雨が降っており、僕は外のフリーで動けるポジション担当だったのでレインコートを着てアトラクションに並びにくるゲストに待ち時間の案内や身長計測などをしていました。
雨であまりゲストは多くなかったのですが、仲間キャストと協力しながら楽しく働いていました。
すると突然、
「今、降り場に体調不良のゲストがいるみたいなので外の人で対応できる人いませんか?」
と上司からの無線が入りました。
丁度その時ゲスト対応をしていなかった僕は、立候補して降り場まで向かうことにしました。
体調不良のゲスト対応
降り場に着くと高校生くらいの女の子が2人とそのお母さんらしき人がいて、女の子の1人が体調を崩している様子でした。
対応に入った僕には確認することが幾つかあります。
① 意識があるかどうか
② 意識があって会話が可能な場合、歩行が可能かどうか
細かい部分を省くとこの2つのポイントでその後の対応が変わってきます。
その女の子はというと、意識はありましたが会話もなんとかできる程度で
自力で救護室まで行くの難しいとのことだったので、僕は車椅子を用意し降り場から最寄りの救護室までその女の子をご案内することになりました。
外に出ると雨が降っていて足元が滑りやすくなっていたので慎重に車椅子を押しながらその女の子とお母さんと
「今日はどこから来たんですか^^」とか、「体調が戻ったらまた乗りに来てくださいね」なんて楽しく会話をしながら救護室まで安全にご案内することができました。
ゲストにとっては特別な思い出
それからしばらく経ち、僕はいつもと変わらずディズニーキャストとして生活を送っているとオフィスに1枚の手紙が貼られており、
“心当たりのある方は申し出てください”
と上司からのメッセージが添えられていました。
僕はゲストから手紙をもらった経験がなかったので、周りの仲間の誰かが素敵な対応をしてゲストに特別な経験を与えたんだな、凄いな〜と思っていたのですが心当たりのあるキャストが現れず、手紙に書いてあった日付を見て上司がその日のシフトを調べたところ自分宛だということが発覚しました。
その手紙には、
「雨の中ゆっくりにしながら救護室まで車イスを押してくれてありがとうございました。その後救護室で少し休んで体調が良くなって楽しくアトラクションに乗ることができました。
小さい頃からディズニーが大好きでキャストになるのが夢でしたが、家が遠いことなどでキャストにはなれないけど、今までで1番印象に残る日になりました!またお兄さんに会えることを楽しみにしています(一部省略)」
と書かれていました。
こんなに嬉しいことはないなと思い、上司に『返信の手紙を書けるけどどうする?』と言われたので僕は迷わず返信の手紙を書くことにしました。
『お手紙ありがとうございました。無事体調が良くなって楽しめたようでよかったです。
こちらこそ、また会える日を楽しみにしています!』
その出来事はその子だけでなく僕にとっても1番印象の残る出来事となりました。
目を疑うLINE
月日は流れ3年が経ち、僕はディズニーキャストを卒業してトレーナーとして新たな生活を始めていました。
自分がついこの間までディズニーキャストをしていたなんて信じられないほど環境が変わり、ガムシャラに毎日働いていました。
そんなある日、当時まだキャストとして働いていた同期の仲間から連絡がありました。
キャスト仲間:「昔に体調不良の子から手紙貰ったの覚えてる?」
「その子今うちで働いてるよ」
僕:「…え?」
状況が理解できず話を聞くと、
どうやらあの時車椅子を押して案内した女の子が僕がいたアトラクションに新人キャストとして入ってきたというのです。
もちろんその子は車椅子で案内されたことも、手紙を書いたことも覚えていてそのこともあってディズニーキャストになったとのこと。
僕は全身に鳥肌が立ちました。
微力ではありますが誰かの人生において、1つのきっかけを作ることが出来たことに僕は全身が震え上がるほどの感動を覚え魔法を使うことが出来たんだと実感し、ディズニーキャストを辞めてより一層自分がしてきたことに自信が持てるようになりました。
1年に1回のお泊まりディズニー
私が高校2年生の秋、お母さんとお姉ちゃんと家族で毎年恒例になっていたお泊まりディズニーに行きました。
目当てはその時やっていた“リロのルアウ&ファン”。
離れている姉とディズニーに行けること、毎年恒例のディズニーランドホテルに泊まれることを楽しみに当日を迎えました。
いざ入園
入園してすぐに、昔から大好きな“スプラッシュマウンテン”のファストパスを取りに行きました。
スプラッシュマウンテンはすぐにファストパスがなくなってしまうのですが、長い列に並び無事にファストパスを取ることができたので、お目当ての“リロのルアウ&ファン”を鑑賞するためにアドベンチャーランドにあるポリネシアンテラスレストランに向かいました。
“リロのルアウ&ファン”は小さい頃から毎年のように行っていた思い出深いショーで、ショーを見ながらご飯を食べることができて大好きなキャラクターと写真が撮れるので昔から大好きなところです。
この日も小さい頃から大好きなデールと触れ合うことができてとても嬉しかったです。
体調に異変
“リロのルアウ&ファン”を鑑賞した私たちは、朝一で取っていたスプラッシュマウンテンのファストパスの時間になったのでそちらに向かうことにしました。
するとファストパスの専用入口から入り、ファストパスを回収してもらった辺りで急に意識が朦朧とし始めました。
なんとかお母さんに寄りかかりながらどうにか乗り場のキャストさんの元まで行き、お母さんが事情を話してくれ、私は車椅子で近くの救護室まで行くことになりました。
せっかくファストパスを取って楽しみにきたのに乗れなくなってしまった、大好きなディズニーでもう遊べなくなってしまうのではないかと不安になりましたがキャストさんは迅速に文句も言わず対応してくださり雨の中ゆっくりにしながら私を救護室まで運んでくれました。
キャストさんの気遣い
救護室でもキャストさんが優しく丁寧に対応してくださったおかげで無事体調が回復しました。
車椅子で運ばれている時、私は意識が朦朧としていてあまり会話の内容を覚えていなかったのでお母さんにその時の話を聞くと
「お兄さんが回復したら乗れるようにしてくれたよ」
と言っていたのでもう一度スプラッシュマウンテンに行くことにしました。
スプラッシュマウンテンに到着した私たちはお兄さんに言われた通り、入り口のキャストさんに名前を伝えました。
すると別ルートからキャストさんが案内してくださり、びっくりするくらいすぐに乗り場まで行くことができました。
中のキャストさんにも伝達されていたみたいで、乗る直前にも「体調は大丈夫ですか?」と声をかけていただけたことに私とお母さんは驚き、気を遣っていただいてとても嬉しかったです。
特別な場所
私の家族は、母子家庭でそこまで仲のいい家族ではなく金銭的にも裕福な家庭ではありませんでした。
昔からみんなでどこかに行ったことがほぼなかったけど、0歳の時から毎年必ずディズニーだけは家族全員で行くことが恒例になっていて、金銭的に厳しくてもディズニーだけはお母さんが必ず泊まりで連れて行ってくれました。
ディズニーに行ってる時はいつもギスギスしている家族もその時だけは仲が良くて本当に楽しかったです。
ディズニーという空間はすごくて誰もが笑顔になれる魔法の世界だと小さい時から思っていて私にとってとても大切な場所でした。
そんな魔法の世界でいつも通り遊んでいたら急に具合が悪くなって、それをキャストさんに言ったら迅速に対応してくれて気を遣いながら私を救護室まで運んでくれて、本当に嬉しかったのを今でも覚えています。
後悔
色んな方のおかげで充実した2日間を過ごすことができましたがあのお兄さんに直接お礼を言えなかったことだけ私の心の中で引っかかっていました。
お母さんに、「お礼言えなくて悲しかった〜」と伝えると「手紙書いてみたら?」と言ってレターセットと切手を渡されたので書いてみようと思いました。
お礼の気持ち、あの後回復してスプラッシュマウンテンに乗れたこと、特別な日になったことを書き綴り本人に届くかはわかりませんでしたが、 ”スプラッシュマウンテンのお兄さん”宛 で手紙を出しました。
すると後日、ポストにディズニーからの手紙が届いており確認するとあの時のお兄さんからのメッセージ付きの手紙でした。
正直本人に届くかもわからなかったので、お兄さんに届いたことにも驚いたし返信をもらえたことがすごく嬉しくて今でも大切にしています。
私もディズニーキャストになる
私は高校を卒業し大学へ進学したら学生の間だけディズニーキャストをやりたいという夢がありましたが、双子の姉が進学するとのことでその夢を諦めて高校を卒業し、そのまま就職しました。
ですが就職して1年半経った時、ディズニーキャストになりたい夢を諦められず、千葉に住んでいた4つ上のお姉ちゃんにかるーく、「ディズニーキャストやりたい〜」と言ったら「じゃあうちの家で住みながらやれば?やりたいならやったほうがいいよ」と言われ火がつき、お母さんに相談することにしました。
大反対
家族に相談した時は、大反対でした。
・超大手に勤めていたこと
・群馬を離れてほしくないと言われたこと
・収入が不安定になること
これらの理由からかなり喧嘩になりました。
でも私は目に涙を浮かべながらどれだけディズニーキャストをやりたいか話しました。
そしたら2、3日後くらいにお母さんが
「近くにいて欲しかったけど、あなたの夢だしあなたの人生だから止められないね。夢の世界で幸せにしてあげてください」
と言ってもらえました。
お母さんは病気になりがちで、癌にもなっていて療養中だったのに置いていくのはすごく迷いましたが、そこまでなっていて許してくれたことがすごく嬉しくて涙が溢れました。
それと同時に、絶対に生半可な気持ちでやらないという決意をしました。
面接
面接には双子の姉と群馬から舞浜まで向かい、双子の姉に自分らしく頑張れ!と背中を押された私はとんでもなく緊張しながら面接会場に向かいました。
面接では志望動機を聞かれ、緊張しながらもあの時のお兄さんにしてもらったことを話して、私もあのお兄さんのような人になって沢山の人を笑顔にしたいです!と答えました。
緊張し過ぎてほぼほぼ記憶がありませんが、絶対落ちるわけがない!と思っていました。それくらい自信がありました。
そしたら後日採用の連絡があり、配属先を聞くとあのお兄さんと同じスプラッシュマウンテンで採用とのことでとてもご縁を感じました。
夢のディズニーキャスト
入社して最初は覚えることが多過ぎて本当に無理!って思っていましたが、同期の子と励まし合いながらなんとかデビューすることができました。
高校生の頃から4年が経っていたので流石にあの時のお兄さんはもうディズニーキャストを卒業されていましたが、お兄さんを知るキャストの先輩が本人に伝えておく!と言っくださり、キャストになったことを間接的に伝えることができました。
デビュー後は先輩方に助けてもらいながらなんとかやっていて、初めて先輩キャストに褒められた時はとても嬉しかったのを覚えています。
ですがデビューして1ヶ月も経たないうちにコロナ禍になり、休園でしばらくお休みになってしまいました。
再開後は色々とやり方が変わり慣れない部分があって困ったこともありましたが、素敵すぎる仲間たちと協力しながら頑張ることができました。
色んなゲストが遊びに来る中で、私は緊張しやすくて自分からゲストに話しかけることがとても苦手でゲストに寄り添えているかな?と不安になることもありましたが、道を教えた時、忘れ物を返した時探し物を一緒に探した時、その他にも沢山のゲストサービスを通して“ありがとう”と笑顔で返していただけたことが毎回凄く嬉しかったです。
その中でも私が1番印象に残っているゲストサービスは、キャスト最後の日です。
その日はいつも通りスプラッシュマウンテンにはゲストが絶えずに来ていて私は入口でゲストを迎えていました。
ずっと入口にいて、車椅子に座っているおばあちゃんとその娘さんがずっと気になっていました。
それまで自分から話しかけて、ゲストサービスをすることの少なかった私は後悔したくないと思い、人生で1番勇気を出してそのゲストに話しかけました。
私:「今日は誰と来園されたんですか?」
ゲスト:「孫が結婚してそのお祝いで家族できたんです!」
私:「おめでとうございます!ここで何を見てるんですか?」
ゲスト:「私は車椅子に乗ってるから乗れないでしょ?だからここからスプラッシュマウンテンに乗ってるみんなを応援しているのよ、乗ってる人が手を振って返してくれて嬉しい!」
私:「見てるだけで楽しいですよね!そんなディズニーランド、私今日で卒業するんです!遠くから見ててとても素敵なおふたりに思い出を残したいのですが、バースデーシールを書いてもいいですか?」
ゲスト:「いいの?嬉しい!」
私:「私でよければ書かせてください!」
〜バースデーシールを書く〜
ゲスト:「凄く可愛い!ありがとう!思い出になった!孫に見せる!キャストさんお疲れ様」
そんな会話をしてお見送りしました。
ゲストからしたら他愛もない会話だったかもしれないですが、そんなことを言ってもらえて喜んでもらえたことが嬉しくてバックステージで泣いてしまいました。
私のお母さんもキャストになった私を見に来てくれて、超似合ってる!と言ってくれたこともとても嬉しかったです。
キャストになってよかったなってあの時あのお兄さんに会うことができて、よかったです。
たくさんの素敵な仲間ができて、たくさんのゲストの笑顔を見ることができて、その一員になれて本当に楽しかったし、私にとって一生の思い出で自慢になりました。
お礼
僕は初めてあの時車椅子で案内した女の子がディズニーキャストになり、スプラッシュマウンテンに配属になったことを聞いたあと、他の多くのキャスト仲間からもそのことを教えてもらいました。
僕の中でのその女の子の記憶はスプラッシュマウンテンから救護室まで案内した僅かな時間と手紙の文面だけでしたが、多くのキャスト仲間が僕にそのことを教えてくれたことで、
『その子がキャストになった姿を見てみたい、そして手紙のお礼をしたい』
という気持ちが強く湧いてきました。
そして僕はそれ以降ディズニーランドに行く度に必ずスプラッシュマウンテンに行き、その女の子がいるかどうか確認するようになりました。
ですが残念なことに僕が遊びに行く日はたまたまその子の休みと被ることが多く、そうこうしているうちにその子がディズニーキャストを卒業したという噂が僕の耳に入りました。
「ありがとうって一言だけでも伝えたかったなぁ」とか、
「ディズニーキャスト生活は楽しめたのかなあ」
という後悔と心配の気持ちが僕の心に残りました。
帰省
その子がディズニーキャストを卒業したと聞いてから1年ほど経った後、僕は働いていた東京の会社を退職し、実家のある愛知県に帰ることになりました。
住んでいたアパートの荷物を整理し、関東で過ごした6年半の思い出を振り返っていると、
キャスト時代に仕事用で使っていた財布の中からあの時の手紙が出てきました。
『何とかしてお礼、言えないかな』
再びそう思った僕は共通の知人にその子のSNSを教えてもらいました。
「向こうはもう忘れてるかな」
そんな風に思っていましたが、恐る恐るその女の子のSNSをフォローすると、承認された通知が届きました。すかさず僕はDMを送りました。
僕:「○○さんですか?」
女の子:「はい!○○です。△△さんですか?」
僕:「はい!△△です。○○さん、あの時はお手紙ありがとうございました!」
その女の子のおかげで、ずっと伝えられなかった"ありがとう"を伝えることが出来ました。
そこから話は弾み、東京に行ったらご飯に行く約束をしました。
約束
約束の日までは1ヶ月以上ありました。
僕は折角ディズニーで出会ったので、
「ディズニーホテルのレストランの予約が取れたら、そこにしよう」と提案しました。
しかし、コロナ禍が落ち着いてきたこともあり、春休み期間でもあったので全く予約が取れず、そのまま約束の1週間前になってしまいました。
僕は毎日、1日5回はサイトをチェックしていたと思います。
すると約束の数日前にようやく、ディズニーランドホテルのレストランの予約を取ることが出来ました。
サプライズにしようかと迷いましたが、サプライズよりもその子と久しぶりに会えることの方が僕の中でサプライズだったので、予約を取れたことを事前に伝えてから当日を迎えました。
6年半ぶり
正直言うと、かなり緊張していました。笑
6年半前に僕はキャストで、その子はゲストで、
たまたま体調不良になったゲストとたまたまそのタイミングで案内すると挙手したキャスト、
そして手紙を送ってくれたゲスト、手紙を返したキャスト、
その後キャストになった子とそれを人伝に聞いていた元キャストの再会ですから。
僕は少し遅れて到着になってしまったのですがその子はとても親切に、
「改札出て右側の絵のある掲示板の横にいます」
とわかりやすく伝えてくれました。
その子がいました。
僕:「こんばんは。△△です」
女の子:「○○です」
無事6年半ぶりに会うことが出来ました。
そのままディズニーランドホテルに行き、レストランが閉まるギリギリまでお互いのキャスト時代の話、例の出来事の話、その後の仕事や今の仕事について話をしました。
何を話そうかと思っていた自分を恥じるほど、明るく元気で、会話してるだけでディズニーキャストに向いてる人だったんだなということが分かるほど素敵な方でした。
お互い元ディズニーキャスト
今はお互い元ディズニーキャストだけど、
初めて会った時は僕がディズニーキャストでその子はゲスト。
でも形が変わって今度はその子がディズニーキャストになり、時を経てお互いが元ディズニーキャストになった今ですが、あの時の出来事は変わらずお互いの心に明確に存在していて、少なからずお互いの人生に影響を与えていました。
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